サラダ記念日

 ジャニーズの中には、「顔面人間国宝」と称される方達がいて、滝沢秀明さんは間違いなくその中の一人である。そして、内面迄も人間国宝にふさわしい男前具合なのでそれもが顔面に滲み出ていて溢れでるオーラの輝きも半端ない。私がみた限り滝沢さんは、顔面に対する賛辞を否定しない。(まあ、私が聞いたこと無いだけで実際はしているのかもしれないが、今回は否定しないという前提で話しを進めさせていただきます)滝沢さんと言う人は、ジャニーズ事務所に入った時から、お顔に対するあらゆる賛辞の言葉を受けて来たであろうと推察する。可愛いに始まり、カッコイイ、 美少年、イケメン、キレイ、男前、美しい⇦今、ココ。もう顔面に対する賛辞が22.3周位しちゃってて当たり前体操位当たり前になってしまっているのである。故に今更謙遜などしない。普通のイケメンなら、「美しいお顔」などと言われたら「イエイエ私など滅相もねぇ、別荘もねぇ(⇦コレは多分言わない)」と言ってしまいがちであるが、滝沢さんは、そうは言わない。だって当たり前のことを言われているのに謙遜などする必要が何処にあるであろうか、イヤない。あなたは、人類ですね。と言われて、イエイエ私が人類など滅相もありませんと謙遜する人などいるであろうか、滝沢さんにとって美しいとは、人類と言われているのと同じことなのだ、故に謙遜などしない。謙遜している時間など全くの無駄なのだ。滝沢さんは、無駄が嫌いである。そして、謙遜しなくても誰も「ちょっとばかり顔が良いからってあいつ天狗になりやがって」とは思わない。何故なら滝沢さんの顔の良さは、ちょっとばかりではないからだ。
 以前、「YOUは何しに?(後略)」コンサートのおり冗談のつもりで「イケメンのタッキー&翼です」と言ってみた所、会場がざわついた。多分、河合君であったなら、「自分で言うな!」な笑い混じりの突っ込み的なざわつきであっただろう。(河合君引き合いに出してすいません)しかし、滝沢さんの場合は、「知ってるし、ソレ冗談になってないからな!」な人とは違う意味での突っ込み的なざわつきであったと推察される。思えば、滝沢さんはこのざわつきの意味を理解していなかったのかも知れない。コレを言った時の翼君のちょっとギョッとした表情に気づかなかったのだろう。長年連れ添った翼君ですら何を今更ぶっ込んできた秀ちゃんよ、あんたの顔面は、笑いに変えられる顔面じゃないんだよ!そろそろ覚えろよ!と心の中で思ったのに違いない。そして敢えて否定せず肯定して笑いに持ち込んでくれた。普通なら何でやねん!的な突っ込みポイントであるはずのボケだったのに、相方ですら否定出来ないイケメン具合。
 人々は「滝沢秀明様が、やっとご自分がイケメンであることをお認めになりご自覚なされた、とうとうタッキーがイケメンである事に覚醒した!」と受け取り、メシア降臨的な騒ぎとなった。「イケメンのタッキー&翼ですと君が言ったから」今日と言う日をサラダ記念日にするべきなのではないか、イヤそれじゃ何のこっちゃ分からない、「タッキー&翼イケメン記念日」として国民の祝日にするべきだ、このまま行くと祝日増え過ぎて365日祝日になってしまうのではないか?などと喧喧諤諤の議論が交わされる事態となってしまった。多分。何処で?と問われるとちょっと分かりかねるが、国会辺りなのではないだろうか。まあ国会辺りでないとすると国会辺りは、至急この問題を取り上げるべきなのではないか?少なくとも挙げ足取りばかりの議論よりは、よほど有意義であると思われる。
 しかし、人々が喧喧諤諤の議論を交わしていると言うのに滝沢さん本人は、自分のイケメン具合に無頓着である。国宝級のイケメンであるのにも関わらずその商売道具であるはずの顔面を割と雑に扱いがちだ。プロレスラーになりたかったとか平気で言い放ちアントニオ猪木さんにビンタされて喜び、何日も風呂に入らず1000度以上の高温に炙られたりする。その度に我々は、その美しい顔面が傷ついたり焦げたりしないか心配していると言うのに。
 それというのも、昔からあらゆるお顔に対する賛辞の言葉を受け過ぎて来たため「たらちねの」が「母」の枕詞であるように可愛い、カッコイイ、 美少年、イケメン、キレイ、男前、美しいが「滝沢秀明」の枕詞となってしまったからなのだ。これらの言葉は当然のように「滝沢秀明」の前につく言葉なので特別意識に上ることではないのである。国宝も持ってる本人にしたら普通のものなのだ。故に滝沢さんは、「美しい」と言われても否定しない代わりに特別大事にもしない。
 しかし、自覚がないからと言って滝沢秀明に「美しい」を否定されたら立つ瀬が無くなる人が続出すると思われる。イケメンと呼ばれる他の人々の為にも滝沢さんは、美しいを否定してはいけないのである。それはきっと後輩達からも「あんたが美しくなかったらこの世の中に美しい人なんかいなくなるからな!オレたちの立場も考えてくれよ!」と無言の圧力と言うか念を日々送られているに違いない。それは、自覚はないと言っても滝沢さんも薄々感じとっていることであろう、だから全ての賛辞を否定しないのだ、と私は思っていた。
 孫悟空元気玉の気を世界中の人々から送られているように、滝沢秀明には、「美しい」を否定してはいけない気が送られていて大きな球となり彼を覆っているのであろうと。故に滝沢さんは、あらゆる賛辞を否定しない、それはあらゆるイケメンと呼ばれる人々のアイデンティティに関わる切なる願いなのだから、と、この時迄はそう思っていたのである。
 それなのに、ああそれなのに人々の祈りにも似た願いを踏みにじるかのごとくラジオにて「ステージ降りたらその辺にいる35歳だから」と言い放ったらしい。ラジオを聞いていた全リスナーが、「そんな訳あるかーい!」と総突っ込みしたであろう事は、想像に難くない。ただの無頓着だった、全ては己の顔面に対する単なる無頓着だったのだ。「イケメンの無頓着」何か新しいことわざのようでもある。無頓着恐るべし。