大人

バイオリズムの関係かなんか分からんが、何日かに一回やってくる、滝沢さんについて真面目に考えてしまう時間。物事を真剣に考えたりするのは、本当に苦手。隙あらばふざけていたい方なのでなるべくなら真剣に物事を考えたくは無いのです。私が、いくら考えたとしても何がどうなると言う訳でもないことは、分かっています。でも考えてしまうのです。だからもうこれは書くことで昇華させるしか無いなと思いまして書くことにします。もうこれは、愚痴です、完全なる私の愚痴なので暗い気持ちになりそうな方はお読みにならないで下さい。




最近の滝沢さんの突っ走りっぷりを見るにつけ、どうも「これは、あくまでも自分が決めて、自分が好きでやっていることなんですよ、だから、会社から強要されたことでも、ジャニーさんに言われたからでも、滝翼解散しちゃったからでもないんですよ」と殊更に強調しているように思えて仕方がない。
 「オレ、今、充実してるぜ!ジャニーズサイコー!」(まあ、こんな言い方してないが)と言われれば言われる程うがった見方をしてしまいがちで、ホントにホントにやりたくてやってるのかな?色々な物を背負い過ぎて、色々な方面に気を使い過ぎてがんじがらめな状態になってしまっているんじゃないのかな?と心配になってしまいます。
 jr.の頃誰にも相談することなく抱えていた滝沢少年の圧倒的な孤独が、翼君によって解消されたと思えました。二人の活動の時は、ホントにホントに幸せそうだったのに、二人の活動の時間はあまりにも少なかったように思います。そして、突然滝翼を解散して、また滝沢さんは誰にも相談することなく引退を決めてしまいました。滝翼を失ったことで再びあの孤独な日々に逆戻りしてしまうのではないかと危惧しています。
ここ何年か、滝沢さんはさかんに「大人の」とか「大人として」とか「大人」と言う言葉を口にすることが多かったような気がしています。自分に大人であることを義務付けているような、大人であらねばと自分に言い聞かせているような感じさえしていました。それは、「大人」になってなさなければならないことがあったからだったのかも知れません。
 それと同時に、昔から「守る」と「戦う」と言うワードが歌詞でも普段の発言でもちょいちょい出てくることが気になっていました。滝沢さんは、常に大切な何かや大切な人を「守る」ために「戦って」来たのでしょう。「何から」なのかは私達には知る由もありませんが、その為には、早く「大人」になりたかった、ならざるを得なかったのだろうと思います。けれど、「大人」になってどんなに「戦って」も1番大切な、1番心から望んだ「滝翼」を「守る」ことは出来なかった、「大人」なのに、「守れ」なかった。その絶望はあまりにも深かいのではないでしょうか。
 アイドルの世界は、ジャニーさんは、滝沢少年に全てのものを与えてくれたけれど、1番欲しかった物は奪われてしまった。翼君が体調を崩したから、というのも一因ではあったと思う、けれど、体調を崩す前に休むことは、出来なかったのか、体調が良くなるまで何年でも休業することは出来なかったのか、翼君をそこまで追い込んでしまったのは、何だったのか。自身の「心臓」とまで思っていた大切な物を失った今、後輩達には、そんな思いはして欲しくない、「大人」として、後輩達を「守る」ために「戦う」覚悟をしてしまったのだろうと思います。
 それは、確かに生半可な覚悟では出来ないことなのかも知れません。もう二度と大切な人達が大切な物を失うことのないように、彼らのことを「守って」「戦う」ことの出来るのは、「大人」である滝沢さんしかいないのかも知れません。
だけど滝沢さん、あなたの「心臓」は失ってしまったけど、あなたの「ハート」は無くさないで欲しいのです。あなたの「心」は無くさないで、あなた「自身」のことも大切にして欲しいのです。「人の幸せ」だけじゃなくて、「自分の幸せ」も大切にしてこその「大人」だと思いますよ。
 滝沢さんと同じ事務所の先輩、同期、後輩の方々は、こぞって「彼の決断を理解してあげて欲しい」と言います。「彼の決断した方へ行かせてあげることが、彼の幸せに繋がるのだから」と言わんばかりに。身近で滝沢さんを見て来た人達がそう言うのだから、それはもう絶対にそうなのだろうし、私達にとっては受け入れるしか道はありません。そして何より悲しい思いを残して彼を送り出したくはないと思っています。それは分かっています、けれど、頭では分かってはいても「人の心」ってものは、そう簡単にコントロール出来る物ではないと言うのも事実です。
滝沢さんの「心」だってそうじゃないのかな?「滝沢秀明の心」は、もう完全に表舞台にはないのかな?自分の思い描く表現を最も的確に表わすことができるのは、自分しかいないとは思わないのかな?やり残したことは本当にないのかな?滝沢さんは、本当に幸せなのかな?そんな疑問ばかりが浮かびます。
 「幸」と言う字は、手枷を表わしていて、しあわせと言うのは、手枷の無い状態のことだ、と何かの本で読んだ覚えがあります。滝沢さんは、本当に今、手枷の無い状態ですか?それともみんなの手枷を外す為に「戦う」のでしょうか?全てを達観したような目をして、自分には幾つもの枷をはめた状態で、滝沢秀明だけが「戦い」続けているのではないのでしょうか。自分にしか出来ない「戦い」と滝沢さんが決めてしまった以上もう誰も止めることは出来ないのは分かっています。でもいつの日かみんなが手枷の無い状態になったら、また戻って来てくれますか?翼君が側にいない今、滝沢さんは、安らげる場所はありますか?滝沢さんの今が、「義経」に重なっているように思えて仕方ありません。義経の最後のようにはならないで欲しいと願っています。ただ、義経の最後に関しては、私としては、ジンギスカンとまでは行かなくても、北海道辺りまでは逃れて幸せに暮らしたのでは無いかと思っておりますので、滝沢さんも私の説を採用して頂けるとありがたいです。そして「義経」のようにあなたを支えてくれる仲間達がすぐ側にいてくれていることを願っています。